篤実温厚な性格だったブラームスは、自己批判の強い人でもあった。10歳の頃から作曲の才能を見せていますが、18歳の時にそれまでの作品を総て廃棄している。故に19歳より以前の作品は何一つ残っていない。そして早熟な才能をピアノにも見せ、ピアニストとしても確かな腕前を持っていたのにピアノ協奏曲第1番、ピアノ協奏曲第2番の初演で人前で演奏した限りである。それは演奏家としてでは無くてあくまでも模範演奏としてのステージでは無かったかと思います。音楽に信仰並みの畏怖を持っていたかのようで後進に対しては音楽的に間違った音は一音たりとも弾かせず、曲の出来が悪いと「君に必要なのは才能だ」などと容赦なく罵倒した。しかし、「これくらいのことで挫けていては、君の全てが台無しになってしまう」と励ますことも忘れなかった。
躍動的なブラームスを演奏しているのがカラヤンだ。バレエ音楽のようで色彩的なところもある。それはラヴェル、ドビュッシー 〜ブラームスはドビュッシーに共通するところが大きいが〜 のそれでは無くてショスタコーヴィチのシンフォニーに感じる戦闘性、視覚に何かを映すようなプロコフィエフ、構成美はストラヴィンスキーのように精巧。カラヤンは節目にブラームスを録音して、心機一転チャイコフスキーを録音する。この時もそうで、1970年代半ばまでストラヴィンスキーからウェーベルンまでを集中的にレコード録音したことが反映された総決算のようだ。ムソルグスキーも感じられる。
ブラームスの音楽に根付いているバロック音楽の要素はヘレヴェッヘの録音で気づかされましたが、カラヤンは又得意のモダン音楽がブラームスに根ざしていることを分からせてくれる。カラヤンの音楽が濃厚であることは肴に成る事のある、バッハの《ブランデンブルク協奏曲全曲》が同じ時の録音だ。カラヤンにとってブラームスは録音が多く、しかも環境が変わると録音をしている。体調の記録なのか、十年間隔で作られた全集の表情はそれぞれに違う。そして録音される響きも異なる。どの時期のブラームスが好きかと問われるのが苦手ですが、1978年のアナログ録音は凄まじい。響きは深いがストリングスがカミソリのようで咆哮する金管楽器に負けていない。ブラームスの音楽というものは本来、協奏交響曲の様子がどのタイプの音楽にも根深い。ブラームスはクララ・シューマンの葬儀を済ませて子供たちの行く末を手配すると、未完成の楽譜、草稿は総て燃やした。完成され出版された手書き譜だけがウィーン・フィルに寄贈された。若い時の楽譜もその時に処分されたのだろうか。熟達してしまってからの作品だけが今、わたし達は聴く事が出来る。だから若い時の音楽スタイルは分からないのだけれども、敬虔な信仰者でもあったから逸脱した行為には踏み出せない男だったのだろう。
バレエ曲の色気醸した劇的な交響曲演奏。
もし、ウィーン・フィルの伝統を確実なものとする重責に囚われていなかったら現代音楽の萌芽は随分と早まっていたかもしれません。今日は3番、4番を聴いていますが、盤はガレリアシリーズでのCD。「ブラームスはお好き」で知られ、親しまれている3番の冒頭は荒々しい。嵐で船が大揺れだ。この時期のカラヤンのブラームスは、1番から順追って聞くのが良いでしょう。でないと音楽の出来を判断を見誤ります。『3番』を単独で聴きたいのでしたら、ウィーン・フィルとのステレオ録音がふさわしい。
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