ヤコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・ バルトルディというのが正しい長い名前。バルトルディというのは母方の姓。父親はユダヤ人銀行家で、フェリックスもユダヤ人作曲家として認識されている。ただ父親は彼に割礼を受けさせたくなかったのでフェリックスが7歳の時にキリスト教に改宗する。その時の洗礼名がヤコプ・ルートヴィヒ。しかしフェリックスは「ユダヤ教の孔子などいないのと同様に、クリスチャンのメンデルスゾーンなどもまた存在し得ないのだ。」という考え方を長じて持つようになる。ユダヤ人としてプライドを持っていたのです。それで彼自身はバルトルディと名乗りたかったのだけど、そこは父親への気を使ってメンデルスゾーンを外すことはなかった。プライドはあったが父親への反抗ではないのだ。そうであればメンデルスゾーンと呼んで差し支えないのだけど、彼を思えばバルトルディというべきなのだろうけどメンデルスゾーンという名前のほうが覚えやすい。… 本文へ
カニクリームコロッケ、湯がいたパスタとほうれん草と人参、玉葱とピーマンのカレーソース味炒め
Posterous からのお引越し
これまでは Posterous の Autopost 機能を使って、POSTEROUSを更新するとBlogger、JUGEMなど多くのブログサービスも更新することができました。同時に更新するブログを投稿時に選択できたり、時間指定で公開もできました。いわばブログエディター代わりに、モバイルでも可能だったのです。サービス終了するというので、さしより移行しました。読み返し拾い読みしてみると、一般公開は控えるべき記事もありそう。折を見て整理し直さなければいけないでしょうね。… 本文へ
鬼才にして巨匠ホロヴィッツ没 – 1989/11/5
光と影に包まれたピアノの貴族
ロシア出身のピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは良い意味での、センセーショナルな巨匠で鬼才だった。『長期休養』と言ってのけたスランプから二度復活して栄光に浴した。さながら不死鳥に例えられ、「ヒビの入った骨董品」と評されるような演奏をした83年の日本初公演から、3年後に汚名を払拭した。
Karajan’s Brahms! – ダンサブルなブラームス
バレエ曲の色気醸した劇的な交響曲演奏。
篤実温厚な性格だったブラームスは、自己批判の強い人でもあった。10歳の頃から作曲の才能を見せていますが、18歳の時にそれまでの作品を総て廃棄している。故に19歳より以前の作品は何一つ残っていない。そして早熟な才能をピアノにも見せ、ピアニストとしても確かな腕前を持っていたのにピアノ協奏曲第1番、ピアノ協奏曲第2番の初演で人前で演奏した限りである。それは演奏家としてでは無くてあくまでも模範演奏としてのステージでは無かったかと思います。音楽に信仰並みの畏怖を持っていたかのようで後進に対しては音楽的に間違った音は一音たりとも弾かせず、曲の出来が悪いと「君に必要なのは才能だ」などと容赦なく罵倒した。しかし、「これくらいのことで挫けていては、君の全てが台無しになってしまう」と励ますことも忘れなかった。
Hello world! – クララ・シューマンの誕生日 1819-9-13
今日はクララ・シューマンの誕生日。1819 年のことである。夫ロベルト・シューマンは 1856 年、46 歳で自殺未遂、精神病院で亡くなった。子供の世話をしながら病院の夫のところにも通っている。良妻賢母の鑑である。子供の成長を見守るように、1896